気まぐれ通信 No.2 みちのく未来基金

誰に配布するわけでもないですが、A41枚の通信を書いています。宜しければご覧ください。
通信版PDFは下のリンクからダウンロードできます。

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みちのく未来基金

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2011.4.12.朝日新聞

 自宅跡に立ち、行方不明者の捜索が続く海に向かって、ZARD「負けないで」を吹いた。津波で母親の宣子さん(43)、祖母の隆子さん(75)を亡くし、祖父の廣道さん(76)は行方不明のままだ。「私は元気だから心配しないで」。涙をふきながら、祖母が買ってくれたトランペットを抱きしめた。
朝日新聞 2011.4.12)

 この写真の少女は大船渡高校の生徒で、後に『みちのく未来基金』の第1期生として進学を果たしました。
 この『みちのく未来基金』を考え出し、実現させたのは3つの企業のトップでした。山田邦雄(ロート製薬会長)、松本晃(カルビー会長)、 喜岡浩二(カゴメ会長)の3人です。
 以下、『みちのく未来基金 設立の記録』から引用、抜粋します。

神戸でやり残したことがある

 ロート製薬の山田さんは、自宅が神戸であったこともあり、1995年に起きた阪神・ 淡路大震災の時に様々な支援を行なったが、「やり残したことがある」と感じていました。
「子どもたちの支援ができなかった。
建物や道路は復興したが、一度、他の地域へと移り住んだ子どもたちは帰ってこなかった。今度のこの震災は桁が違う、子どもたちのために何かしないと、本当の街の復興にはならない。」
 一夜にして親や家族を失って深く傷ついた子どもたちの多くが大学への進学を諦めようとしている、また、高校卒業後の進学支援がほとんどないという現実がありました。
 『被災した子どもたちのために何かしたい』という想いに共感した3人は、被災した遺児のための進学奨学基金を創設しようと動き出しました。

 企業3社が設立したと聞くと、ビジネスライクな事業のように想像してしまいますが、実際は河崎保徳さん、長沼孝義さんを中心とする担当者が、被災地に足を運び、多くの方々の声を聞いて、創りあげた手作りの基金でした。

血の通った 息の長い支援

 6月のスタートから3ヶ月で、みちのく未来基金の理念や仕組みが創られました。その経緯と意図・特徴は、Webページに紹介されています。

michinoku-mirai.org

 そこに書かれている項目の1つ1つに、被災地の現状と被災者の思いが反映されています。例えば、次のような現状がありました。

震災当時の高校3年生の様子

 避難所で暮らす毎日、仮設の学校、そんな状況で受験をし、進学しようとする意欲すら湧かず、目標を見失っても誰も責めることはできない状況でした。
 遺児が進学を諦める理由は、経済的な理由は半数、残り半数の理由は違いました。津波被害の大きかった三陸沿岸部には大学も、専門学校もほとんどありません。彼らが進学をするには、県内外の都市へ出るなど、自宅を離れて、遠い町で一人暮らしをする必要があります。
「寝たきりのおじいちゃんを
 おかあちゃん一人ではお風呂に入れられないから」
「お父さんは妹や弟のお弁当を作れないから、
 私が地元に残ってお母さんの代わりをする」
 家族を思う気持ちが強い生徒ほど進学を諦めます。そんな生徒達と沢山出会いました。このとき基金設計には単に学費を応援するだけではなく精神的なサポートも大切だと感じました。

 こうした現状を踏まえて、『みちのく未来基金』の理念が書き加えられていきます。

🐣一人ひとりの夢を支援したい

 街の真の復興は美容院や飲食店、生花店介護施設など様々なお店や施設があってこそ成り立つ。そんな仕事を目指す子どもたちの夢を応援するため、大学だけでなく専門学校への進学も支援。
 一律ではなく、1人ひとりに必要な額を、卒業までの期間支援。

🐣遺児なら全員が対象者で返済不要

 定員を設けず、全員に。25年間継続。
 諦めかけている生徒に「ちょっと待って! 学費は全額返済なしで支援するからもう一度考えてみて!」というメッセージを伝えるために高校3年生の8月には奨学生としての内定を届ける。

🐣学校を訪問し、先生と一緒に

 子どもたちの迷いや思いを理解した上で、身近な愛情を持った大人が支える必要があります。それができるのは先生です。スタッフは学校を訪問し、先生たちと一緒に子どもたちと面談します。

🐣奨学金だけでなく、寄り添う支援

 『みちのく生の集い』は、奨学生たちが互いの不安な思いを語り、サポーターとも交流できる場に。そして、その様子やみちのく生やサポーターの声は、『みちのく未来通信』に掲載し、多くの方々に届ける。

 私が『みちのく未来基金』を知ったのは2012年。スターバックスハミングバード・プログラムからたどって、その存在と活動を知りました。ここに綴ってきたような3社の企業の方々や被災地の先生方の活動、『みちのく生』たちの声を食い入るように読みました。そのことで、私自身がずいぶんと元気づけられたのを覚えています。自分の暮らす場所で、自分のできることをやり続けようと思えるようになりました。