気まぐれ通信 No.6 ブラックパワー・サリュート

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 1968年メキシコシティオリンピックの200m走の表彰台で、国歌斉唱の間、下を向き、黒手袋の拳を掲げる金メダリストのトミー・スミス(中央)と銅メダリストのジョン・カーロス(右)。

ブラックパワー・サリュート

 この拳を高く掲げる行為は、ブラック・パワー・サリュート(The Black Power Salute)と呼ばれるアメリ公民権運動でアフリカ系アメリカ人たちが行った黒人差別に抗議する示威行為でした。

 1968年は、アフリカ系アメリカ人公民権運動の指導者として有名だったマーティン・ルーサー・キング・ジュニアキング牧師)が4月4日に暗殺され、全国で抗議活動や暴動が起こった年でした。

 オリンピックという国際的な舞台での抗議行動は初めてであり、公民権運動の上では画期的なことでした。しかし、アメリカオリンピック委員会は2人の抗議行動を政治的パフォーマンスとして非難し、アメリカ・ナショナルチームから即日除名すると共に、オリンピック村から追放しました。
 両名に厳しい措置がとられたにもかかわらず、その後もメキシコシティオリンピックの表彰台ではアフリカ系アメリカ人による抗議のパフォーマンスが繰り広げられます。男子400mを独占したアメリカのリー・エバンス、ラリー・ジェームズ、ロン・フリーマンは黒いベレー帽をかぶり、トミー・スミスら同様に拳を掲げた。男子走幅跳の金メダリストボブ・ビーモンは黒いソックスを履き、同じく男子走幅跳のラルフ・ボストンは素足で壇上に上がった。いずれも「黒」を強調することでブラックパワーを誇示するパフォーマンスでした。

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『スポーツに政治を持ち込むべきではない』

 スポーツの政治利用を禁じるオリンピック憲章の趣旨に反するとの理由で、彼らの抗議行動は厳しく非難されました。
 「スポーツに政治を持ち込むべきではない」確かにその通りかもしれません。しかし、選手は今生きている人間です。政治や差別とは無関係に生活はできないのです。また、過去にはオリンピックの開催すら政治に左右されてきたのも事実です。ボイコットする国や地域があったことも事実です。オリンピックが、政治と切り離されたものと考えるのは理想論です。

ピーター・ノーマンのブラックパワー・サリュート

 先の表彰式の写真で、銀メダリストのオーストラリアのピーター・ノーマンは手は掲げてはいませんが、実は2人の行為に賛同し、『人権を求めるオリンピック・プロジェクト』のバッジを胸につけています。
 彼は、表彰式の前、ブラックパワー・サリュートのパフォーマンスをしようとしている二人の話を聞き、「ぼくは、表彰台で何をすれば良い?」と尋ねたそうです。二人は「私たちの問題だ」と丁寧に断ったそうですが、ピーター・ノーマンは二人が胸につけているバッジを求め、一緒に表彰台に立ったのでした。

 オリンピックの銀メダリストといえば国の英雄として扱われても不思議ではないですが、これ以後、ノーマンは二度とオリンピック出場を許されず、引退に追いやられました。白豪主義(白人優先主義と非白人の排除政策)をとっていたオーストラリアでノーマンは死ぬまで歴史から抹消され、家族ともども迫害を受けたのです。スポーツ選手は、国の政治に大きく影響される生きている人間なのです。

人種差別と闘った英雄

 一方、アメリカでは次第にスミスとカーロスを「人種差別と闘った英雄」として評価する声が高まり、彼らの名誉は少しずつ回復されていきました。2005年、彼らの出身大学に銅像が建てられ、除幕式にはノーマンも招待されました。

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 この銅像の銀メダリストの場所は空いており、「Take a stand」の文字が彫られています。これは、「来た人がここに立って写真が撮れるだろう」とノーマン自身の意思で空白になったそうです。

「Take a stand」

に込められたメッセージは何でしょうか? 
 「ここに立ってみてください」
 「立ち上がりなさい」

 ノーマンは翌年の2006年、その名誉は回復されぬまま亡くなります。彼は表彰台で一緒に立ち、抗議をしたことを後悔していません。それどころか、自分の銅像を建てる代わりに、訪れた人たちに考える機会を残し、一緒に立ち上がることを呼びかけているのだと思います。

ノーマンが私たちに
「あなたなら立ちますか?」「どのように立ちますか?」
と突きつけているように思えます。
一緒に立つのか? 無関係であるとアピールするのか?


追記
 2008年に、ノーマンの甥、マット・ノーマンは、ピーター・ノーマンの物語を語るドキュメンタリー『サリュート』を作成しました。
 そして、2012年、オーストラリア議会がノーマンに公式の国家謝罪を発表しました。
 2018年、オーストラリアオリンピック委員会は死後にノーマンに勲章を授けました。
 2019年、ノーマンの像が、ついに彼の故郷、メルボルンのスタジアムの外に建てられました。